人は自分が劣っていると思いがち

エンジニアにとって完璧とゆう言葉は無い。エンジニアなら誰しも得意不得意分野がありコンプレックスを持っている。そこで自分が理解できないような話があると、自分は他の人に対して劣っているのではないかと思ってしまうようである。ところが、後々その時のことについて腹を割って話してみると、実はその人もよく分からなかったなんてゆうことが多い。もしその時に、不明点を質問していれば、他の人にとってももっと有意義な時間をすごせたことだろう。


設計の局面では、このようなことがあるのではなかろうか。外部インターフェース設計の為に、他サブシステムのインターフェース設計書を入手し設計を試みた。だが、その設計書を理解しようとしても難しくて要領を得ない。エンジニアならたぶん、自分に理解力が無いのでは?自分の無いスキルのことが書かれているのだろうと、自分に問題があるように考え、時間を掛けてその設計書の理解に努める。結局は、時間オーバーとなり理解不足のまま設計に望むか、もしくは作成元に確認に行く羽目になるだろう。このようなケースでは、一度、その設計書に記載されるべき内容を確認すべきである。問題を、自分に突きつける前に、目の前のことが本当に正しい姿かを検証することが大事である。これは、自分が劣っているとのコンプレックスから来る弊害である。


このような考えもある。自分が劣っていると思うことは、更なる勉強が必要と感じている証拠で、更なる成長の可能性を秘めていると考えることが出来る。このような人間は自己啓発性が高く、自分をより高く昇華することができる人であろう。だが自分は知っている、優秀だと思った時点で、探究心は無くなりそこで成長は止まってしまう。人は、常に謙虚にのぞむことによって新しいものを得られるのでは。


vol.52

今はインターネットの普及によって学術的なものから実践的な経験則のようなものまで幅広く情報が集められる時代になりました。これは以前に比べれば非常に便利な時代になりましたが、ただ弊害としてはやる前に結果が分ってしまうため「やった気」になってしまうことでしょうか。何事も自分の手を動かし考えていかないとステレオタイプの人ばかりになってしまいます。